美大生リョウの日記

繊細な美大生が日々考えていること

自分に合ったレベルと生活

逃げている感覚しかない。いまもそう。

卒制をやらなきゃいけないのに、将来はイラストレーターになるからとか言ってミカピカゾさんの展示を見に京王線に揺られている。

こんな逃げからくる失敗ですら人生の糧となるだろうとか言って、逃げてる。

精神の弱い人格と言わざるを得ない。

社会的に淘汰される。下を見ればいっぱいいる。

そういうやつはチャンスを逃す。自分が実現できた何かを。でも、その何かって、なんだ?

金持ち?もうやんなったよ。金を稼ぐために時間割くならその1秒ですら田舎で描いてたい。

もうおれはそんぐらい好きなんだよ。

同期とは合わなくなってくる。収入も限られてくる。それは嫌なんだけど、生きる道を、人生を優先したい。賢人は言うよ。やめとけって。

 

やめとけって言ってやりました。成功しました。それすらビジネス書が作り出した都合の良い幻想な気もしてる。騙されたのか。社会構造的に無理なのか。無理なことをやるのがすごいんじゃないのか?

 

こう、抽象ばかりだ。論理だった筋道なんてものはない。考えれない考えたくないことの裏返しなのか。でも楽しいならいいんじゃないか?それを苦痛と思わないのなら、それすら才能なのではないか?

 

言葉遊びで幸不幸を左右するなんて、人間は怖いよ。それを幸不幸にするのは自分なんじゃないの?なら挑戦する価値あるよな?

 

やるしかねぇんだって。

友達減少と覚悟

僕は半年前からだいぶ友達が減った。

理由は就活や卒制、自分が人生で向き合うべき課題に対して向き合わず楽なことばかりをして逃げてきたからだ。それが見た目や態度に現れて、結果的に人が減っていった。

 

テストステロンの値もおそらく下がっていったんだろうな、、、

 

いやほんとに嫌な時間だったよ。

 

でも今は覚悟がある。

どんな形になってもいいからやることをやる、そして考える。

 

やり続ける。

これしかない。

オスとしてのカッコよさとクリエイターとしてのカッコよさは両立できるのか?

巷では相変わらず「逃げてもいいんだよ、苦手なことから離れろ」的な論が出回っているように見える。そしてその「理解のある令和君」(Twitterのある人の言葉から拝借した)から逃げ続けているとどうもさえない人生を送る羽目になりそうなことも大体察した。

 

逆に「今この瞬間瞬間を必死に生きなければならない。」という言葉ですら僕の中では他人に意見であり、内側から湧いて出てくるような使命感みたいなものはいまのところない。おそらく、最後に人生で長期間全力で居続けたのが高校受験の時だからかもしれない。美大受験はなんか楽しかったから塾の言うとおりにしてたし、さらに改善する気になれなかった。今思うと、もっと最適化できたんだけどな。

 

冷静に振り返ってみると、そのときに成長しなかったのは、

現状に満足していたからだ。

同じ人間である以上、容姿とか性格とか才能の差はあれ自分にはなんだってできるはずだ。ただいまの「ある程度できている自分」に満足して「最底辺では無い自分」「他人より思考も奥ゆかしさも少し優れている自分」みたいなのに満足して、あとはほかの同世代の人間と一緒に成長していけばいいと思っている。

 

フルマラソンで例えるのなら、スタートして10㎞ぐらいで下の中ぐらいにいるのに、

「自分ははえーー。余裕あるし、あとは後ろの様子でも見ながらぼちぼちゴールすればいっかー。」みたいな状態である。

もとから才能のあるやつらとか、努力してそれを勝ち取ったやつらはもう15㎞、20㎞ないしはそれ以上の場所にいるのだろう。

それすら知らない。それがダニング・クルーガー効果で揶揄されるところの「バカ」なのであろう・

 

変化の激しい時代。

現状に満足していると平気でおいてかれる。マラソン参加者の平均スピードはどんどん上がっていって、怠け者は死んでいく。

そんなことに先日22歳の誕生日を迎えた大学四年生がきづく。

幸せかどうかは生き様で決まる

こんにちは。

将来について考えていると人間という生き物がウサギとかゾウとかいった他の動物よりはるかに複雑な生物に進化したと言うことを改めて実感してるし、どうも本能のまま生きていると辛い感情を抱くことになるだろうし、むしろスマホが普及した今では理性的に生きないとどんどん取り残されていく、そんな時代みたいだ。

 

生きづらいなんて吠え出す人たちが出てくるのも当然だ。でも彼らを構う暇なんてその人たち以外にはほぼ誰にもないのだから、進化を迫られるのだろう。進化は多くの場合痛みや苦痛を伴う。だからみんな素でいたいんだ。

 

だが許されない。