美大生リョウの日記

繊細な美大生が日々考えていること

オスとしてのカッコよさとクリエイターとしてのカッコよさは両立できるのか?

巷では相変わらず「逃げてもいいんだよ、苦手なことから離れろ」的な論が出回っているように見える。そしてその「理解のある令和君」(Twitterのある人の言葉から拝借した)から逃げ続けているとどうもさえない人生を送る羽目になりそうなことも大体察した。

 

逆に「今この瞬間瞬間を必死に生きなければならない。」という言葉ですら僕の中では他人に意見であり、内側から湧いて出てくるような使命感みたいなものはいまのところない。おそらく、最後に人生で長期間全力で居続けたのが高校受験の時だからかもしれない。美大受験はなんか楽しかったから塾の言うとおりにしてたし、さらに改善する気になれなかった。今思うと、もっと最適化できたんだけどな。

 

冷静に振り返ってみると、そのときに成長しなかったのは、

現状に満足していたからだ。

同じ人間である以上、容姿とか性格とか才能の差はあれ自分にはなんだってできるはずだ。ただいまの「ある程度できている自分」に満足して「最底辺では無い自分」「他人より思考も奥ゆかしさも少し優れている自分」みたいなのに満足して、あとはほかの同世代の人間と一緒に成長していけばいいと思っている。

 

フルマラソンで例えるのなら、スタートして10㎞ぐらいで下の中ぐらいにいるのに、

「自分ははえーー。余裕あるし、あとは後ろの様子でも見ながらぼちぼちゴールすればいっかー。」みたいな状態である。

もとから才能のあるやつらとか、努力してそれを勝ち取ったやつらはもう15㎞、20㎞ないしはそれ以上の場所にいるのだろう。

それすら知らない。それがダニング・クルーガー効果で揶揄されるところの「バカ」なのであろう・

 

変化の激しい時代。

現状に満足していると平気でおいてかれる。マラソン参加者の平均スピードはどんどん上がっていって、怠け者は死んでいく。

そんなことに先日22歳の誕生日を迎えた大学四年生がきづく。