生きるために必要なものは少ない。
髪を切った。
3年前からお世話になっている立川の美容師さんに今日もお世話になった。まだ若いのに毛量が少ないおれの相手をしてくれるのだから、ありがたい。
帰り道、駅ビルで洒落たスイーツやこだわりのある食べ物、本屋にいった。が、懐が寂しいせいかどうしても必要だとは感じられなかった。本は読みたいビジネス書があったけど、目次から読みたいところを抜き取ってみたら、なんだ、当たり前のことじゃないかとまた落胆したのであった。
ようするにヤレってことである。「やる」ことができればあとはなんでもいい。おれもそう思ってる。
少し脱線したけど、こんなにキラキラしてて味も美味しそうかつ値段もそんなに高いわけじゃない。なのに要らないと思えた。
それは、他ならないおれの本心がいらないと思っているからなのではないか。当たり前のことをいう。
でもそうだ。人間生きるためには体を構成し続ける栄養とエネルギー、少しの人間関係、金、趣味があれば生きていけるのだから。
娯楽はどこまでいっても自らの感情を満たす手段でしかない。感情を別のもので満たすことがどきているのなら、新しいものも必要ないのかもしれない。
全く味わわないというのは、人間性の深みに欠ける。がその場一瞬の快楽のためなら、押さえ込むのが理性というものなのではないだろうか。
今朝動画で見たけど、孫さんは1日5分だけ除いてあとはずっと勉強してたらしい。
鬼だ。雑念という概念が無いのか。
ともかく同じ人間である以上、5分までとはいかなくとも3時間とかまでになら近づけるはずだ。
最近景色が変わってきた。いろんな本を読んだり時間の価値を知ったことで、世の中の娯楽のほとんどが「その人の大切なやるべきことの時間を奪う商売」という偏った見方さえ出てきた。
大切なことに向き合うこと、それが人生で1番大事なことだ。